明日からまた台湾に行ってきますよ
(サムネイルは台湾基進友の会会長の林さんと)
こんにちは。作曲家のサワグチカズヒコです。
慌ただしい師走の日々いかがお過ごしでしょうか。
明日よりまた台湾です。
今回のメインは台中のポンカン農家さん訪問と、ライブです。
自由になる日が1日しかないので、はたしてどう過ごすか・・・まだ決めていないんですが。
12月の台湾は初めてなんじゃないかな。
よく年越しの花火の動画なんか見ますけど、台湾はクリスマスや年越しの感覚は日本と違うんでしょうか。やはり暦も旧暦ですし。
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先日12月8日は横浜で開催された日台友好な感じの忘年会に出席いたしまして、給食当番の楽曲を披露させていただきました。
給食当番は台湾本国に切り込んで行ってますが、実は日本において台湾関係の知り合いがあまりいないんです。なのでこの忘年会は貴重な機会と思い、参加したのです。
いろいろな団体の偉い方が来ておられましたが、なかでもサワグチが直感的にこの方と話さねばならないと感じたのが呉さんという方でした。
乾杯してすぐに私は呉さんのところに行って給食当番のパンフレットをお渡ししました。呉さんは台湾出身でありながら日本軍として戦争を戦った97歳の方で、足も不自由なら耳もだいぶ遠いということでしたが、給食当番のパンフレットを熱心に読んでくださいまして、「澤口さん、いいよ」とサムズアップをしてくれました。澤口という名前をすぐに覚えてくれたのも嬉しかった。
そして読んでくださいとご自身の載った新聞記事のコピーをくださいました。(後ほど紹介します)
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サワグチは旅行が好きで、いろいろな国へ行ってきました。
なかでも特に、台湾という国が好きで何度も行きましたが、なぜ台湾という国が親日なのか、なぜ人が親切なのか、という点はあまり深く考えたことがなかった。
自分は戦後教育で育ちましたが、とにかく戦争に関するあらゆるものが間違いだったと教育され、触れてはならない腫れ物であるかのように教えられてきました。それは確かにそうなのかもしれないけれど戦争の中で生きた人々がどういう思いで過ごされてきたのか、という点は考えたことがありませんでした。
おどろいたのは鹿児島の知覧で特攻隊記念館に行って隊員が残した手記を見たときでした。
当時の少年たちが志願した背景には「早く自分も戦わないと日本が負けてしまう」という強い焦りがあったのだと知ったのです。
自分のイメージでは誰もが天皇陛下万歳を強制され、「行きたくないのに無理やり行かされた」に違いないだろうと思い込んでいたのですが、実際はそうではなかった。「家族を敵から守りたい一心」から、だった。もちろん恐怖は耐え難いものがあったに違いないが、それ以上に家族や隣人への愛情によるところが大きかったと知ったのでした。
戦争はもちろん起こしてはいけない。
しかし、自分たちが今、こうして日本という国で平和に生きていられるのは紛れもなく、当時自分の命を捨ててまで国を守ろうと戦った人たちのおかげであることは忘れてはいけない。
そして台湾に生まれ、日本軍として戦った呉さんという方に会えて、このような方々のおかげで今の私たちがあるのだなと思いを新たにすることができたのでした。
日本と台湾。
戦争を知らない世代の自分が、台湾パイナップルだ台湾マンゴーだと歌をうたって騒いでいるわけだが、こういう歴史をきちんと認識した上で活動していかなければいけないなと改めて感じたのでした。
もちろん夜市だ観光だとはしゃぐのも遠慮せずに楽しむべきでしょう。
もっともっといろいろな台湾を知りたい思っています。
先人たちへの感謝を忘れずに。
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呉さんにいただいた新聞記事を貼っておきます。
是非読んでください。
そしてTBSに特集されたときの動画URLも貼っておきます。
「日本人になりきった」アジア・太平洋戦争で“日本人”として戦った台湾出身の青年たち 日本と台湾の狭間で生きた元日本兵の願いは…【報道特集】|TBS NEWS DIG
https://youtu.be/sw63gA92N3A?si=QSZJbDuliY8DdArf
というわけで、また台湾に行ってきます。